Taznaとは

Taznaの理念

心を傾け、真摯に向き合い その人本来の力を引き出す

Taznaが目指す未来

一人ひとりが自らの心、そして人生のタヅナを握り
自分と相手を思いやれる世界へ

代表紹介

前川 由未子(まえかわ ゆみこ)

Tazna代表
金城学院大学講師
臨床心理士、公認心理師、博士(心理学)
認定ポジティブ心理学プラクティショナー


1989年福岡県生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、7歳で心理カウンセラーを志す。
日本学術振興会特別研究員を経て、名古屋大学大学院教育発達科学研究科で博士号(心理学)を取得。
臨床心理士・公認心理師として医療、産業、教育の現場でカウンセリングや心理ケアプログラムに携わり、子どもから高齢者まで幅広い層の心のケアにあたる。
2017年より金城学院大学国際情報学部講師に着任。
育児休業中に駐在妻としてタイに居住し、「バンコクこころのでんわ」「みんなの相談室」ボランティアスタッフとして活動。現地で40回以上開催したセミナーは、毎回キャンセル待ちが出るほどに。本帰国前の講演会では60名を動員した。ミネルヴァ書房「産業・組織心理学」、木立の文庫「寄り添うことのむずかしさ」、誠信書房「日常臨床に活かす精神分析」、金剛出版「バリント入門」などで執筆・翻訳。
2024年に本帰国し、直後に「Tazna(タヅナ)」を設立。大学で教鞭をとる傍ら、海外居住者のメンタルヘルス支援拡充に取り組んでいる。


海外での出産経験をもつ3児の母。
「心と繋がれば、世界が変わる」が持論。
「孤独に心病む人ゼロ」の世界を目指している。

代表略歴

臨床心理士取得

名古屋大学大学院教育発達科学研究科 博士後期課程修了
金城学院大学 常任講師に着任

第一子出産

公認心理師取得

タイへ帯同
第二子出産

バンコクこころのでんわ、みんなの相談室にてボランティア活動開始

第三子出産
海外居住者向けセミナー開始
現地で40回以上セミナーを開催し、累計300名以上のメンタルサポートにあたる

メンタルアップ・サロンAICONNECTスタート

本帰国
Tazna設立
認定ポジティブ心理学プラクティショナー取得

Tazna設立までのストーリー

なぜ心理士になったのか?
~今も原動力となる幼少期の決意~


私は福岡県で2人姉妹の長女として生まれました。幼少期は、父の仕事で2年ごとに国内外を点々とする生活。5歳のときにアメリカへ渡り、そこで母が心の病をこじらせて他界してしまったのです。
「母と私のような思いを、もう誰にもさせたくない」
当時7歳だった私は、カウンセラーになることを決意しました。

日本に帰国した私を待っていたのは「集団になじむ」という大きな壁でした。アメリカで自己主張することに染まっていた私は、小中高、そして大学でも友人関係で躓き、仲間外れにされてばかりでした。しかし、そのような苦しい時の救世主である相談室やカウンセリングには「精神異常者が行くもの」という誤ったレッテルが貼られていたのです。カウンセラーを目指していた私ですら、利用を躊躇してしまう周囲の視線がありました。カウンセリングが非常に身近だったアメリカとのギャップに大きな衝撃を受けました。


一方で、日本の自殺率は先進国トップレベル。救えるはずの命を救えていないことに大きな疑問と憤りを覚えました。心理士になるため名古屋大学教育学部教育発達科学研究科に入学。「偏見を払拭し、メンタルケアを身近なものにしたい」という想いから、学部、修士、博士課程では相談行動についての研究と論文執筆に明け暮れました。

なぜ学者の道を選んだのか?
~カウンセラーとしてのやりがいと限界~


晴れて臨床心理士となり、念願だったカウンセラーとしての活動を始めました。クライアントさんと一対一で向き合い、心と心を通わせる。それは想像以上にハードな世界でしたが、クライアントさんの表情が明るく変化していくのは言葉にならないほど嬉しく、大いにやりがいがありました。このまま病院や企業でカウンセリング業をしていくのだろう。はじめは漠然とそう思っていました。

しかし、博士後期課程進学と同時にした結婚が、大きな転機となりました。
学部新卒でバリバリ稼いでいた夫に対して、当時私が勤めていた心療内科の時給は1400円。(これは心理士としては一般的な価格です…!)家計に貢献していないからと、家事は私が担うことになりました。大学院まで行って朝から晩まで勉強しているのに…。悔しさがこみ上げました。心理士が稼げないのは、社会にその価値を認められていないから。研究や学問を通してメンタルケアの価値を訴えることが、より多くの人に支援を届けることにも繋がるのではないか。そう考え、大学教員として就職することを選びました。

なぜタイでボランティアをしたのか?
~駐在妻生活の光と闇~


就職してほどなくすると、長女を授かりました。その間に夫のタイ赴任が決定。第二子妊娠中に育休を継続しながら私もタイへ渡りました。時は2020年3月。コロナウイルスが蔓延し、渡タイ6日後にバンコクはロックダウンとなりました。

頼れる知人や友人がいない中での出産・子育てで,気付けば心身はボロボロに。「もうムリ!!」と夫に泣きわめくほど追い詰められていました。そんな時、ふと「母はこんな気持ちだったのかもしれない」と、自分が母と同じ道をたどろうとしていたことに気付いたのです。「このままではいけない」と思い、コロナが緩和するとすぐに自分の好きなことができる場所を探しました。そして出会ったのが「バンコクみんなの相談室」と「こころのでんわ」でした。


はじめ、ボランティア活動は一対一の個別相談が中心でした。しかし第三子を出産し、子どもの預け先がない状態に。個別相談は無理でも何かできることはないかと頭をひねり、「講座なら子連れでもできるのでは」と日本人会で心理学講座をはじめました。
心理学を日常生活に活かせるよう噛み砕き、実践的なワークを盛り込んだ講座は、予想以上にご好評いただきました。告知して半日で満席、キャンセル待ちが出ることも。そして何より、暗い表情で来場された方が受講後ニコニコと軽やかな足取りで帰っていく姿に、私自身も驚きました。学びを通して自分の心と向き合うことで、メンタル不調の重篤化を防げる。私にとって新たなメンタルケアのあり方との出会いでした。

なぜTaznaを立ち上げたのか?
~Taznaに込めた想い~


レジリエンス(耐性)を上げて病まない心をつくるためには,体系立った学びと継続的なサポートを提供する必要がある。単発講座を重ねたなかでそう実感し、メンタルアップ・サロンAICONNECTとAICONNECT Proを立ち上げました。メンタルの安定や家族関係の改善など、メンバーの100%が変化を実感してくださり、徐々に輪が広がってきています。

2024年2月にタイから帰国し、起業。屋号を『Tazna』と付けました。Tazna=手綱とは、馬とコンタクトを取り、行先をコントロールするための馬具です。思いがけず凹んだり、イライラして暴言を吐いたり。心は時に,暴れ馬と化します。けれども自分の心と繋がりを保ち、自分でコントロールできる力を、本来私たちは兼ね備えているのです。
時代、環境、他者、そして自身の心に振り回されるのではなく、あなたの人生を生きてほしい。
そんな想いとともに、私たちは挑戦していきます。

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Taznaの理念

心を傾け、真摯に向き合い
その人本来の力を引き出す

Taznaが目指す未来

一人ひとりが自らの心、そして人生のタヅナを握り
自分と相手を思いやれる世界へ

代表紹介

前川 由未子(まえかわ ゆみこ)

Tazna代表
金城学院大学講師
臨床心理士、公認心理師、博士(心理学)
認定ポジティブ心理学プラクティショナー

1989年福岡県生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、7歳で心理カウンセラーを志す。
日本学術振興会特別研究員を経て、名古屋大学大学院教育発達科学研究科で博士号(心理学)を取得。
臨床心理士・公認心理師として医療、産業、教育の現場でカウンセリングや心理ケアプログラムに携わり、子どもから高齢者まで幅広い層の心のケアにあたる。
2017年より金城学院大学国際情報学部講師に着任。
育児休業中に駐在妻としてタイに居住し、「バンコクこころのでんわ」「みんなの相談室」ボランティアスタッフとして活動。現地で40回以上開催したセミナーは、毎回キャンセル待ちが出るほどに。本帰国前の講演会では60名を動員した。ミネルヴァ書房「産業・組織心理学」、木立の文庫「寄り添うことのむずかしさ」、誠信書房「日常臨床に活かす精神分析」、金剛出版「バリント入門」などで執筆・翻訳。
2024年に本帰国し、直後に「Tazna(タヅナ)」を設立。大学で教鞭をとる傍ら、海外居住者のメンタルヘルス支援拡充に取り組んでいる。

海外での出産経験をもつ3児の母。
「心と繋がれば、世界が変わる」が持論。
「孤独に心病む人ゼロ」の世界を目指している。

代表略歴

臨床心理士取得

名古屋大学大学院教育発達科学研究科 博士後期課程修了
金城学院大学 常任講師に着任

第一子出産

公認心理師取得

タイへ帯同
第二子出産

バンコクこころのでんわ、みんなの相談室にてボランティア活動開始

第三子出産
海外居住者向けセミナー開始
現地で40回以上セミナーを開催し、累計300名以上のメンタルサポートにあたる

メンタルアップ・サロンAICONNECTスタート

本帰国
Tazna設立
認定ポジティブ心理学プラクティショナー取得

Tazna設立までのストーリー

なぜ心理士になったのか?
~今も原動力となる幼少期の決意~


私は福岡県で2人姉妹の長女として生まれました。幼少期は、父の仕事で2年ごとに国内外を点々とする生活。5歳のときにアメリカへ渡り、そこで母が心の病をこじらせて他界してしまったのです。
「母と私のような思いを、もう誰にもさせたくない」
当時7歳だった私は、カウンセラーになることを決意しました。

日本に帰国した私を待っていたのは「集団になじむ」という大きな壁でした。アメリカで自己主張することに染まっていた私は、小中高、そして大学でも友人関係で躓き、仲間外れにされてばかりでした。しかし、そのような苦しい時の救世主である相談室やカウンセリングには「精神異常者が行くもの」という誤ったレッテルが貼られていたのです。カウンセラーを目指していた私ですら、利用を躊躇してしまう周囲の視線がありました。カウンセリングが非常に身近だったアメリカとのギャップに大きな衝撃を受けました。

一方で、日本の自殺率は先進国トップレベル。救えるはずの命を救えていないことに大きな疑問と憤りを覚えました。心理士になるため名古屋大学教育学部教育発達科学研究科に入学。「偏見を払拭し、メンタルケアを身近なものにしたい」という想いから、学部、修士、博士課程では相談行動についての研究と論文執筆に明け暮れました。

なぜ学者の道を選んだのか?
~カウンセラーとしてのやりがいと限界~


晴れて臨床心理士となり、念願だったカウンセラーとしての活動を始めました。クライアントさんと一対一で向き合い、心と心を通わせる。それは想像以上にハードな世界でしたが、クライアントさんの表情が明るく変化していくのは言葉にならないほど嬉しく、大いにやりがいがありました。このまま病院や企業でカウンセリング業をしていくのだろう。はじめは漠然とそう思っていました。

しかし、博士後期課程進学と同時にした結婚が、大きな転機となりました。
学部新卒でバリバリ稼いでいた夫に対して、当時私が勤めていた心療内科の時給は1400円。(これは心理士としては一般的な価格です…!)家計に貢献していないからと、家事は私が担うことになりました。大学院まで行って朝から晩まで勉強しているのに…。悔しさがこみ上げました。心理士が稼げないのは、社会にその価値を認められていないから。研究や学問を通してメンタルケアの価値を訴えることが、より多くの人に支援を届けることにも繋がるのではないか。そう考え、大学教員として就職することを選びました。一方で、日本の自殺率は先進国トップレベル。救えるはずの命を救えていないことに大きな疑問と憤りを覚えました。心理士になるため名古屋大学教育学部教育発達科学研究科に入学。「偏見を払拭し、メンタルケアを身近なものにしたい」という想いから、学部、修士、博士課程では相談行動についての研究と論文執筆に明け暮れました。

なぜタイでボランティアをしたのか?
~駐在妻生活の光と闇~


就職してほどなくすると、長女を授かりました。その間に夫のタイ赴任が決定。第二子妊娠中に育休を継続しながら私もタイへ渡りました。時は2020年3月。コロナウイルスが蔓延し、渡タイ6日後にバンコクはロックダウンとなりました。

頼れる知人や友人がいない中での出産・子育てで、気付けば心身はボロボロに。「もうムリ!!」と夫に泣きわめくほど追い詰められていました。そんな時、ふと「母はこんな気持ちだったのかもしれない」と、自分が母と同じ道をたどろうとしていたことに気付いたのです。「このままではいけない」と思い、コロナが緩和するとすぐに自分の好きなことができる場所を探しました。そして出会ったのが「バンコクみんなの相談室」と「こころのでんわ」でした。

はじめ,ボランティア活動は一対一の個別相談が中心でした。しかし第三子を出産し、子どもの預け先がない状態に。個別相談は無理でも何かできることはないかと頭をひねり、「講座なら子連れでもできるのでは」と日本人会で心理学講座をはじめました。
心理学を日常生活に活かせるよう噛み砕き、実践的なワークを盛り込んだ講座は、予想以上にご好評いただきました。告知して半日で満席、キャンセル待ちが出ることも。そして何より、暗い表情で来場された方が受講後ニコニコと軽やかな足取りで帰っていく姿に、私自身も驚きました。学びを通して自分の心と向き合うことで、メンタル不調の重篤化を防げる。私にとって新たなメンタルケアのあり方との出会いでした。

なぜTaznaを立ち上げたのか?
~Taznaに込めた想い~


レジリエンス(耐性)を上げて病まない心をつくるためには、体系立った学びと継続的なサポートを提供する必要がある。単発講座を重ねたなかでそう実感し、メンタルアップ・サロンAICONNECTとAICONNECT Proを立ち上げました。メンタルの安定や家族関係の改善など、メンバーの100%が変化を実感してくださり、徐々に輪が広がってきています。

2024年2月にタイから帰国し、起業。屋号を『Tazna』と付けました。Tazna=手綱とは、馬とコンタクトを取り、行先をコントロールするための馬具です。思いがけず凹んだり、イライラして暴言を吐いたり。心は時に、暴れ馬と化します。けれども自分の心と繋がりを保ち、自分でコントロールできる力を、本来私たちは兼ね備えているのです。
時代、環境、他者、そして自身の心に振り回されるのではなく、あなたの人生を生きてほしい。
そんな想いとともに、私たちは挑戦していきます。

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